浮遊する自己決定A

二、臓器移植法の成立過程における自己決定

 この種の課題に関して、すでに小松美彦氏が示唆に富む分析を行っている14。まず、これを瞥見する。
 最初に「自己決定」という言葉が登場するのは、一九八六年に発足した日本医師会「生命倫理懇談会」の最終報告、「脳死および臓器移植についての最終報告」(一九八八年)である15。当報告書は、脳死判定を実施することおよび脳死を人の死とすることには社会的合意が必要であるとしつつも、依然合意は得られていないことを認める。そこで、そのような現状においても脳死からの臓器摘出を可能にするために要請されたのが自己決定権である。
 「現状では、脳の死による死の判定がまだ一般的に公認されたとはいえない。しかし、脳の死による死の判定を是認しない人には、それをとらないことを認め、是認する人には、脳の死による死の判定を認めるとすれば、それでさしつかえないものと考えてよいであろう。このことはまた、自分のことは自分できめるとともに、他人のきめたことは不都合のないかぎり尊重するという、一種の自己決定権にも通じる考え方であるといえよう」(中山『資料に見る』九三頁)16。
 小松氏は、この報告書は自己決定権を以て根本的な発想の転換を行ったものであるとする。つまり、前提であるはずの社会的合意も立法も必要とせずとも、本人の自己決定さえあれば、脳死移植は可能であるという論理の構築がそれである。
 「『生命倫理懇談会』は『最終報告』の公表をもって、〃自己決定があれば十分であって、立法も社会的合意も不要だ〃ということを社会的合意とせんと企図したのである」(小松一三一頁)17。
 小松氏によれば、さらにこの論理は、以外にも脳死臨調(「脳死臨時調査会」一九九〇年発足)の少数派に継承されていく。脳死臨調少数派は、多数派が脳死は医学的に人の死であり、人の死であることの社会的合意も成立しているとして、脳死を人の死とするのに対して、脳死を人の死とすることの思想的根拠の不在や社会的合意はいまだないと判断する。しかし、もし脳死状態に陥った患者が、「臓器を贈りたいという意思を強く持っていたならば、その意思を拒む理由を捜すのは困難であろう」18とし、患者の自己決定を以て脳死状態からの臓器の摘出を可能とする方途を認めている。さらにその後、この自己決定を軸とする立場は法案準備段階では主流にはならなかったが、脳死を人の死とせずに、本人の自己決定によって臓器摘出を可能とする金田・猪熊案、さらには提供意思がある場合にのみ人の死とする関根修正案へと貫流し、中山案に土壇場で最終的な修正を加えることによって、現在の臓器移植法が成立した、と小松氏は跡づける。
 このようにして、本人の自己決定によって脳死移植を再開する論理は、「生命倫理懇談会」から「脳死臨調少数派」へ、さらには国会内での論議へとつながり、社会的合意の存否にかかわらず、本人の意思によって摘出可能とした現行法に結実した。小松氏はこのように分析することによって指摘するのは、自己決定を切り札にすることによって社会的合意要件を無用として脳死移植を推進したことだけではなくて、この種の死を巡る問題を個人の自己決定に委ねることの制度化が成立したことでもあるという、いわば自己決定に関する二重の制度化である。
 「正に『臓器移植法』の可決成立とは、脳死・臓器移植を個人の問題へと還元するという社会的枠組みを制度化するとともに、その制度化の必須要件であったはずの社会的合意を制度化自体によって同時に形成されたとすることでもあったのである」(小松前掲論文一三七頁)。
 脳死移植を個人の自己決定に放任するだけではなく、この種の問題を個人に委ねるという制度の形成でもあるという洞察は傾聴に値する。小松氏はこれを自己決定を巡る「見えざる罠」と呼び得るだろうとしている。今後われわれの社会が、安楽死・尊厳死問題をはじめ、人工生殖、出生前診断、遺伝子診断という最先端医療技術の押し寄せる波に対して何らかのかたちで対応を迫られることは必至であるが、このような課題に関して、小松氏が指摘する自己決定の二重の制度化の視点は念頭に置いておかなければならないだろう。
 しかし、小松氏の分析は、自己決定の概念に関してあまりにも否定的であるように思われる。おそらく小松氏は、現代社会において死あるいは「いのち」について自己決定を言うことの陥穽の深刻さを見据えて、徹底的な批判の視座を据え置くために、自己決定の概念に対して敢えて終始否定的な扱いをしているのかもしれない。確かにそのような戦略的な意図もあるだろう。だが、移植法成立過程で主張された同じ自己決定概念にしても、その質と位置づけに関して決して一様ではないはずである。特に「生命倫理懇談会」のものと「日弁連意見書」、さらには金田・猪熊案における自己決定概念には質的区別を置かないといけないだろう。移植法成立過程で主張された自己決定概念に決して意義がないわけではない。しかし、そこには混乱やゆがみ、あるいは「副作用」とでも言うべき捩れた事情が存しているように思われる。もし町野B案に対抗するとするならば、実際には森岡氏のように何らかの自己決定概念に頼らなければならない。だが、自己決定の主張が依然として翻弄の歴史に棹さすかたちでなされるのであれば、自己決定の真価と本質は活かされないままであろう。そこで、臓器移植法成立の過程で主張された自己決定概念の歴史を、小松氏とは別様に辿り直す必要がある。以下でそれを試みる。

14小松美彦「『自己決定権』の道行き―『死の義務』の登場」(上)、『思想』二〇〇〇年二月号、十二六−十五七頁)。
15中山研一『資料に見る脳死・臓器移植問題』日本評論社一九九二年、八六−九九頁所収。
16報告書作成のリーダー的存在である加藤一郎氏の「脳死の社会的承認について」『ジュリスト』No.845,一九八五年十月には次のようにある、「……これは、患者の自己決定権とも関連のあることである。医療について患者の自己決定権を尊重すべきことが承認されつつあるが、脳死についても、とりあえず自己決定権の中に含めて、個人の意思を尊重するというのが、現状において脳死の判定を推進する一つの方法だと思われる。……このような患者本人の意思を尊重することに対しては、他人が違法だとか不当だとかいって文句をつける必要はないはずである。現在、脳死判定による臓器移植をした筑波大学の医師に対して、心臓死より前に臓器を摘出したから殺人罪だとする告発がされているが、臓器の提供を望む人とそれに応じて臓器移植をした医師に他人が文句をつけるのは、おかしいことだと思われる。
 こうしてみると、いわゆる社会的合意が必要だとしても、それは、脳死一般についての社会的合意ではなくて、脳死の判定によって死後の臓器提供を望む人に対して、脳死の判定をすることについての、社会的合意ということになる。それは、結局、臓器提供者の意思を尊重するかどうか、また、自分がかりに反対であっても他人がすることを認めるかどうかという、寛容の問題だということができよう」。
17報告書発表の直後からすでに同種の批判はあった。例えば澤登俊雄氏によれば、「……同報告は、あるときには患者の自己決定権を強調し、またあるときはそれを事実上否定する結果に終わっている。以上から明らかなように、最終報告の真の狙いは、脳死説の公認を妨げている社会的合意論を無力化するため、患者の自己決定権とそれによる死の概念の相対化を主張し、『まだ社会的合意の得られていない』脳の死による人の死の認定を、現時点で実施に移すことを可能にすることである」。(澤登俊雄「脳死問題の考え方―医学と法律学との間」『法律時評』一九八八年四月号)。また、小田直樹氏によれば、「最終報告は、国民レベルでは『自分がかりに反対であっても他人がすることを認める……寛容』についての「合意」だけを問題とし、『死亡概念』に対する『合意』は個々の患者の問題にしてしまう方向を示す(加藤一郎「脳死の社会的承認について」『ジュリスト』No.845,四一頁)。しかし、後述のように、『社会的合意』論の基礎が『死亡概念』決定問題自体の社会性にあるとすれば、社会レベルでの論争が尽くされていない段階で個人レベルでの問題解決を持ち出すべきではなかろう」(「死亡の概念について(一)」『広島法学』十三巻一号一九八九年七月)。他に中山研一「脳死と臓器移植をめぐる問題の再論(一)(二)」『警察研究』第五十九巻第六、七号一九八七年。加藤一郎・唄孝一対談「対談.脳死問題と日本医師会生命倫理懇談会最終報告書」『法律時報』六〇巻三号一九八八年などがある。
18臨時脳死及び臓器移植調査会答申「脳死及び臓器移植に関する重要事項について」中山『資料に見る』一三三頁。

 

浮遊する自己決定B三、翻弄される自己決定

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